阿佐ヶ谷住宅にも足を伸ばしました。
阿佐ヶ谷住宅というのは戦後に作られた公団の団地らしく、
建築関係の人の間では有名な地区なんだそうです。
七夕の商店街を抜けて、
炎天下を歩くこと10分ぐらいだったでしょうか、
友人のナビのおかげで阿佐ヶ谷住宅に着きました。
「取り壊しの予定がある」ということだったので、
もしかしたらもうなくなってるかもしれない、
という不安はありましたが、まだ住んでる人もいました。
多くは廃墟になっていましたが、
取り壊しにはまだ少し時間があるようです。
団地内の道。通行人(のような友人)を添えて(^^)
阿佐ヶ谷住宅の中での自分の一番のお気に入りは、道でした。
コンクリートに白線、という一般的な道のようでいて、
こんな雰囲気初めてだな、という印象を受ける道でした。
狭くも広くもない道の両側には、
ふんだんに緑が配置されていて、
ゆったりした風情だったからなのかな、と思っています。
道のわきの木。まるでブロック!
小さくてとてもかわいかったです。
ドドン!とそびえ立つ給水塔。
高さがあってきれいな形です。
地元の給水塔はあたりでは一番高いところにあったので
給水塔じたいは背が低く、UFOのような形をしていましたが、
どこかこの給水塔に似てるところがあります。
真似したのかもしれません(笑)
公園にて。二股になっている滑り台を発見。
よっぽどたくさんの子供が住むことを想定したんでしょうね。
その公園にあった電灯。
昭和の雰囲気がプンプンしていていい感じです。
いまや街灯といえば蛍光灯タイプが主流ですから、
こういう電球型はなかなか見かけないですよね。
今は普通すぎて別になんとも思わない蛍光灯型も、
発光ダイオードが主流になって取って代わってしまったらきっと
「平成っぽい」といって味を感じるようになるんでしょうね。
阿佐ヶ谷住宅にはブロック積みのような家もあり、
それは確かに地震に対して危険性があると思いますが、
「いい」と思ってる人もたくさんいるのだから、
「危険・古い、だから、壊す」ではなくて、
発展させる形で使うことができればいいのに、と思います。
古いもののよさ、中央線のよさを発見できた一日でした。
友人、ありがとう!
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10 件のコメント:
阿佐ヶ谷住宅はちょっと手を加えれば魅力的になりそうやけど、古すぎて、耐震性や遮熱性考えると大がかりな工事が必要なのかもしれんね。
あの周回路は狭いけど、一応自家用車の通行を前提につくっとったはずやろーね。多分政府が国民車構想(1955)を出した頃やけん、当時の軽自動車がすれ違うのに十分な道路幅はあるはずよ。
>きっころ
金はかかると思うけど、好きな人はそれでもカネ払って住むと思うっちゃんね。そういうブランド力があの街にはあると思う。
そういう背景があったんやねぇ。当時の軽自動車って、三輪のやつ??確かにあれなら余裕ですれ違えそう。
ミゼット(3輪)系も軽やけど、実際は4輪のファミリーカーが想定されとったはず。住宅街やけん。でも実際には構想が高尚に過ぎたけん初めて実現したとされるクルマが1963年のスバル360だったという・・・。さすがの日本人も3×1.3mの大きさに高性能を詰め込むことはできなかったって話。
今考えると、当時の軽の全長制限がトヨタIQの長さやったんよ。いや~、苦しい世界でしたなw
あ、ごめん、話しがソレた。。
阿佐ヶ谷住宅
森結花
砂川陽香、秋谷綾乃
浦部春香
佐々木彩夏
松村未央
阿佐ヶ谷住宅
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